2007年09月21日

[ON AIR] Vol.2 瀧健太郎作品上映&トーク

"Full objects / Empty subjects"
2007年3月31日
[am K.Y. Travelling Store] @gift_lab

taki_145.jpg


瀧です。こんばんは。今日はお忙しい中ありがとうございます。映像作品の上映はしますが、話すのは慣れていないので、ひょっとしたらおかしな事を言うかもしれません。作品を紹介しながら、どのように作品をつくっているか話せたら、と思います。僕は97年ぐらいからヴィデオアート作品を作ってきました。それまでは美術大学でCGやアニメーションを勉強しており、もう少し工学的なこと、ヴァーチャル・リアリティなどの研究をしていました。しかし、その世界は凄く分厚いマニュアル本を読んで、初めて視覚的なものを得るということがあり、せっかく美術大学にいるのにもったいないと思い始めました。そして、元々美術に興味があったこともあり、興味が美術に移っていきました。

 今日お話しするのは、大そうなタイトルですが、『Full objects / Empty subjects』とは物がたくさんあるけれど、主体は空っぽだという意味です。ヴィデオを使った上映作品と、インスタレーションを紹介します。さっそく作品を見て頂きますが、僕の作品を知らない人もいると思うので「こういうものをやっている」で、まずは『Sein』という2004年のインスタレーションを観ていただきます。ちなみに、タイトルは独語で『存在』という意味です。

【作品抜粋上映】『Sein』(2004年)


ー映像の中身ではなく、画面の外との関係

 見ての通り、何のことのない壁際にあるTVのモニターに映像が映るのですが、床のパターンと背景の壁のパターンが(画面の内外で) 一致するようになっています。視点を定めないといけないのですが、ある視点に来ると映像の中身と実際の空間がピッタリと合います。実際には居ないはずの人が居たり、画面の中と現実が関わることができるという作品です。2年前に香港の展覧会に出したものです。

 通常映像を作る人は、映画もTVもそうですが、映像の中身に興味があると思います。例えば、俳優の演技や歌を歌っているとか、どういった物語なのか、です。この作品を作るにあたり、僕の興味はそうではなく、画面の中はむしろ他愛無いもので、画面の外との関わりにありました。何で興味があるかは分かりませんが、そういうことに興味の持つようになり色々と実験を繰り返しました。

 次にお見せするのもその一環の作品です。映像を作るとなると、脚本から書き始める人が多いですが、僕は映像の構造、というか枠組み=フレームそのものに興味がいくのです。『Sein』より少し前の作品になるのですが、『unstable people』という作品です。

【作品抜粋上映】『unstable people』 (2001年)


ーカメラが無くて、TVからサンプリング

 『unstable people』は2001年の作品です。2001年はこんなことやっていました。こうした作品を作るようになった理由は、映像作品を作ろうと思った時、仕事の関係で性能のいい映像編集の出来るコンピューターが家にありました。でも何か作ろうとした時に、決定的に欠けているものがありました。それはビデオカメラだったのです。普通だったら自分の生活などを撮影すると思うのですがカメラがない。しかし、どうしても映像作品を作りたかった。そこで、家にVHSのデッキが何台かあったので、1日中TVを録画して、1台8時間ぐらいを8台で録りました。そして、その中から使える部分を取り出して組み合わせました。だから、先ほどの映像作品の初めに出てきたオジサンも僕はよく知らない。誰だか分からない人のスピーチをコンピューターに取り入れて繰り返すのです。例えば、「こんにちは」の「こ」の部分だけを繰り返し、組み合わせると凄く面白く、ブルブル震えたり、どもりのような効果がでるのが楽しくて、単純に面白さだけで作った作品が『unstable people』です。

 更に、TVで映像がバーッとでてきて、次の映像に切り替える、これは一般的には「ワイプ」というのですが、その映像の切り替えをしつこく多用して、悪意のある使い方をしています。何回も画面を切り替える手法は、TVではあまり見ないですね。あるいは、同じ人が喋っているスピーチを細々にしてみたりなど、実験的にやった作品です。

 次は、一番初めに観たモニターの作品の続きで、スペースとヴィデオ、スペースとイメージへの興味による作品です。
 
【作品上映】『corner piece#1』(2004-2005)


ー 映像で空間を変容させること

 『corner piece』シリーズというもので、『Sein』の時はTVモニターで空間を映像に出していたのですが、今度はギャラリーの部屋の隅に、プロジェクションで映像を映しました。なので、映像の中に映っている空き缶のようなものは、実際にあの場所にあるのではなく映像です。さも出っ張りの所にひっついているように見えるのですが、映像であるように錯視で見せるということです。どのような手法を用いているか種明かしをすると、わざとギャラリーの出っ張りがある部分を選び、そこと同じセットを紙・バルサ・パネル・スチレンボードを使って作り、ギャラリー会場の下に組みます。そこで撮影したものをひっくり返して現実の空間に投影する、という手法を用いています。映像での空間の変容といいますか、「あれ、何かおかしいぞ」と思わせるきかっけを作ろうと試みました。

 2番目の映像は、渋谷のトーキョーワンダーサイトというギャラリーでやったものですが、やはり何のことはない扉の隅、展示空間の間の廊下部分に映像を投影しました。ここも同じように、鉄の扉があって出っ張りがあってという空間と同じものを作って撮影された物体自身に投影するという手法を用いています。
 
【作品抜粋上映】『corner piece#1』トーキョーワンダーサイトにて


−建築・都市・映像=ヴィデオ

 作品を上映する際、ずっと繰り返し再生するために、映像の中で色々とやったことをリセットする意味を持たせ、シャッターのような映像を加えています。ヴィデオアートというのは色々な手法があると思うのですが、僕は、特に空間の変容と細切れの人物の作品を実験でやっていくスタイルを7〜8年続けていました。

 次に、空間に対する興味とより密接に関わる実験例の作品をご紹介します。
 最近、映像が建築に深い関係にあると僕は考えています。東京でも有名な建築のファサードがスクリーンのようになっていて色々な映像やアニメーションが動くのを見たことがある人もいると思います。僕もそのようなものに興味があって、一昨年オーストリアにあるクンストハウス・グラーツ美術館という面白い形をした建築で行った作品の紹介をします。この建築は、ピーター・クックという建築家によるものです。
この建物には、表面に丸い蛍光灯の玉がびっしり詰められていて、それがドットのスクリーンになっているのですね。それを元に映像を映し出すシステムになっています。
映像のコンペティションに応募し、最優秀賞とグラーツ美術館の建築家にちなんだピーター・クック賞の両賞を獲得した作品をご紹介します。

【作品紹介】『Tentakle』(2005年)


−グラーツ美術館へのビデオクリップを制作

 この建物には変なイボイボがついていまして、建物の上からノズルのようなものが出ています。建築家のコンセプトによると“friendly alien”といって、つまり友好的な宇宙人という意味です。このコンセプトでデザインされているのをふまえて映像を制作するという課題でした。たくさんの人が作品を応募する中、多くの作品が自分のストーリーや内容を見せるものが多かった。僕はパッと見たときに、「これは全体で映像が映ったら何かおもしろいな」と、例えばこの球体にも関連する、イボイボが出てきたら面白いのではないか、映像と建築物を分けて考えずに、一緒に考えてデザインしようと考えました。

 そこで、このスケッチなのですが、"friendly alien"が生き物として、触手をのばして、ノズルが伸びてきて手になったらどうだろうと考えたのがこの辺ですね。建築のイボイボが映像としてでてくるものをやろう、また生き物のおなかが、ウニョ〜っと開いて、開いたら臓器が脈打っているのはどうかなど、色々考えました。美術館にある模型の写真を撮ったものにアームをつけて色々と検討し、アームが何か取り込むさまを視覚化したら面白いのではないかと思いました。

 完成した実際の映像は50ピクセル×25ピクセルという凄くドットが荒い映像なのですが、オリジナルのフッテージをお見せします。
触手が動いて、だんだん増殖してきて、背中にあるノズルがだんだん伸びるという僕の中では珍しくストーリーがあるものです。アームの一本は、もう一方のアーム自身が外部から拾ってくるのですね。取り込まれたものがどうなるかというと、心臓か腸か胃の中でこなされている。これが繰り返し夕方ぐらいから夜中にかけて(建築のファサードに) 何回か登場します。グラーツ市内にある時計台の上から、建物に映像が映し出されているのを何回か実際に観て、感無量の経験をしました。

ちょうど、森山大道、中平卓馬、岡本太郎、草間彌生といった色々な時代の日本のアートの展覧会をやっている中で、コンペに応募し運良くこれが採用され、自分もそこに参加することができました。

 これがきっかけに、ますます単なるフラットのスクリーンに映すのではなく建物や立体的なものに映像を映すという行為にのめりこんでいき、次にご紹介する新しい作品に移行していきました。

【作品制作プロセス紹介】 『Bild: Muell』


− イメージのゴミの中に入り込む装置

 この作品は、何か整然としたものを投影するのはおもしろくないので、瓦礫のようなものを考えていました。そして、自分で実験を繰り返しました。ただ単に平面ではなく、立体のものがいいのではないかと考えました。そこで生まれたのが、崩さってゆくプロセスの中に形を求め、映像を投影するというものです。そのことを思いついて、モノを落としてみる中で生まれる偶然の形をスケッチし、工事現場などに落ちている木片に色をつけたのを落としてみたり、崩したものをデジカメでとって形に起こして不定形というか変わった形を探すという作業を去年の7月からやり始めました。それで生まれた最終的な形は、人がいてその前に瓦礫があってそこにデコボコのもので、そこに映像が映しだされたら面白いだろとうというものでした。

 とは言いましても、プロジェクトが進むにしたがって具体的に進めなくてはならなくなり模型をつくりました。実際に形ができたら、40cmぐらいのマケット(maquette)という小さい模型をつくって、そこに本当の映像を投影してみて、実際に投影が可能かチェックをします。机の上で実験をしてみて、この時点でどういうイメージをのせれば良いかちょっとずつ考え始めます。

 そして、実際ギャラリーでオブジェをつくり、白いキューブを配置します。その際、凄く大変だったのが、美術館のギャラリーのホワイトボックスに対して、僕の作品もホワイトキューブになってしまいました。作品自体が白で、そこに映像を映すと、白地に白になってしまう。それでは面白くないので、それ以外の所は形状をよく見せるために黒にしようということで、準備期間のほとんどを、ホワイトキューブをブラックキューブにする作業にかけています。

しかも、当のギャラリーが天井だけは、自分の敷地ではなくビルのものなので何もしてくれるな、という要望があったため、釘などを一切使用せず、苦労して作品の端と端を吊るしてオブジェを配置しました。

 また、どのようにこのオブジェに映像を投影するかというと、これは実際に投影する映像を、配置されているオブジェにピッタリ合わせなくてはならないので、グリットをひいてグリットに合わせ投影する映像の位置を割り出していきます。

 途中段階ではプロジェクターの蒼い光がでて、オブジェに部分的に映像があたっていますが、最終的にはオブジェの形に合わせるように映像が投影されています。タイトルが『Build: Muell』といって、独語で「イメージ:ゴミ」という意味です。何故イメージがゴミかというと、現代は情報やイメージがたくさんある中で、たくさんありすぎて、必要ではない情報も飛び込んできます。特に都市部ではそうですね。そのようなことを考え直す、という意味でギャラリーにゴミをもう一度配列し、しかも崩れそうな形のオブジェから始まって、最終的に形にする、というプロセスを辿りました。

 実際は、観客がオブジェの中に入り込めるようになって、観客自身の映像も映りこんで、イメージとゴミの中に入って、自分も対象になってしまう、という偶然ではあるのですが、そのようなスタイルの作品になっています。

 映像の素材はインターネットや自分のデジタルカメラで街の看板や電車のつり革広告を撮りためました。中吊り広告をずっと撮っている青年というのは、傍から見てかなり変だったと思います。(笑)

 それを集めて、ランダムに投影するコンピューターのソフトで、サイコロ型のものを右から左に別々の映像を当て込めるようになっています。昔なら何台ものプロジェクターが必要だったかもしれないのですが、こんかいは3台のみのプロジェクターで右、中央、左を投影しました。

 この作品は、人によってはかなり嫌悪感を抱く作品でもあり、また別の人にとっては、凄く気持ちよく、ポップだ、アメリカンだ、という意見の人もいました。アメリカンというのは、インターネットはそもそもアメリカのヒッピー達がつくった文化が発祥だと思うのですが、インターネット上の情報はアメリカあるいは英語圏のものが多いという印象をうけました。

 この展示は、横浜のポートサイドギャラリーで9月に終わってしまったのですが、それとは別に、横浜のZAIMという場で展覧会をやっています。
ZAIMというのは、関内にある関東財務局だった建物をリノベーションしてギャラリーに開放している建物の総称です。今回は、元は人事部だった場所での展示なので、先の展示と同じようにブラックキューブにして、スタイルは同じですが、もう少し小型にしました。前に展示したギャラリーは天井に何もしてくれるなということだったのですが、今度やったところでは何でもしてくれ、ということでしたので、天井に穴をあけ吊って展示しました。

 この時も普通の整然とした形ではなく、わりとぐしゃっとしたイメージを観客に持ってもらえるような形にしました。現場ではオブジェを先に吊るして、それから映像を合わせるというのは変わらないのですが、二日間しか準備がないので少し雑な部分もあるかもしれません。今回の展示では、プロジェクターを「このような立体映像作品作っている人は他にいない」ということで東芝からお借りしました。立体的な映像というと、「スターウォーズ」での通信手段で登場するような3D映像を想像するかも知れませんが、それとは全く別物ですね。

 このシリーズはとにかく、「情報過剰なのではないか」、「都市のシミュレーションを作品でやる」というテーマが自分の中にありました。だいたい他の作家の方は「自分はこう思う」「自分はこのような人生だ」といった作品が多く、僕みたいな作品を作る人はいません。僕は、他の作家が持つような、作品に対する自己主張のようなものがないので、状況を把握できる作品をつくりたいというのがあります。

モノ、実際にはモノではないのですが、と情報とイメージが合わさったものが溢れてということを作品の中で言おうとしています。"full object"の段階というのがもうひとつの"empty subject"、これは『unstable people』に関わってくるのですが、フレームの中でしゃべっていて、言葉にならないが音楽的に配列されている、けれど、特に何もない、空っぽだと。僕はそれを「現代性」の一つと捉えています。モノも情報もあるし、イメージもあるし、僕らは欲するものがないくらい一杯色々なものに我々は溢れている。だけれど、なぜか主観というか、我々の心はむしろ空っぽだ。これが現代的というのが、日本だけなのかは分かりませんが、特に東京はその集合体の街だと思っています。作品は"full object"、 "empty subject"の両方をやろうということでインスタレーションの作品で"full object"をやっています。


-身の回りに溢れる電子映像をツールに

 次に紹介する 『living in the box』は"empty subject"を表現している作品です。
 これは、シリーズでやっている作品で、箱の中に映像を出す、箱というかモニターなのですが、液晶モニターがジャンクパーツとして秋葉原で安く売ってまして、それを購入して木枠のフレームにはめこみます。これをgift_labの池田さんが「リサイクルモニター」と名付けてくれたのですが、モニターをリサイクルして美術の作品に転用するのはどうかと思って、去年ぐらいから作りはじめています。丁度いいソフトウエア(『living in the box』)が、この3月ぐらいに出来たので、gift_labのショップで、一ヶ月ぐらい置かしてもらっています。映像作品の中身ではなく中身と外の両方を売り出し中です。

 この作品を説明してしまうと面白くないのですが、例えば手がアクションを起こすけれども、いちいちそれが何も成し遂げない、というか、それは演じているパフォーマーにもそうお願いしました。まずは囲われた空間の中でアクションを起こす、しかもそれが狭いところだという指示を与えておいて、その中で目的なき目的、達成しえない目的を演じてもらう、というのをこの作品で言っています。色々な体のパーツがでてくるのですが、今日はその中で上映用にまとめたものがあるのでそれを観ていただこうと思います。

 僕は興味が色々とあって、何でヴィデオをやっているかというひとつの理由は、ヴィデオは何でも落とし込めるのですね。音楽で興味のあるものがあれば入れることができるし、空間的なものが好きだなと思ったら空間を映像で埋められる。パフォーマンスをどう落とし込むかといったらそれもヴィデオでやってしまう。何でも落とし込めて、観る人に本物を観せられる、というか記憶の場を共有できることが、僕にとっては非常に便利な芸術の手段というか手法だな、と思っています。

 蛇足になるかもしれませんが、日本でヴィデオアートはもう終わったのではないかというふうに言われていたのですね。それは90年代のバブル経済崩壊と共に、当時活動していたヴィデオ作家たちがヴィデオ作品を作らなくなったことと、機材を提供する企業がだんだんヴィデオ作家たちをサポートしなくなったこともあって、潰えてしまったのですね。

 その後どういうことになったかというと、メディアアートとかサウンドアートとか、マルチメディアアートとかいうものに取って代わられて、僕も90年代の終わりぐらいからヴィデオを始めるときに「まだヴィデオアートをやっているの?」と言われたことがありました。しかし、それと同時期にヨーロッパやアジアに行ってみたら、勿論ギャラリーに行けば絵画もあって彫刻もあって、ヴィデオもあるのですね。それでヴィデオアートを世界がやっているのに、日本だけが無いことになっていて変だなと思いまして、ヴィデオのためのグループ(ビデオアート・センター東京)を立ち上げました。今観ていただいたように、ヴィデオアートはまだまだ可能性のある分野というか、むしろコンピューターの時代になろうが、インターネットの時代になろうが扱っているメディアは電子映像なので、電子映像のことを総称してヴィデオと読んでもいいと思い、電子映像芸術として僕は捉えていています。「何で瀧さんはヴィデオアートにこだわっているのですか」と言われるのですが、こだわっているのではなく、電子映像のツールが身の回りにたくさん溢れているからそれを使っているだけです、と答えています。


【作品上映】『living in the box』(2007年)


ー「何が空虚なのか」は観客次第

 中で演じていたのは伊達麻衣子さんというパフォーマーで、この作品は僕の教え子で制作パートナーである大江直哉君と、3人で作ったコラボレーションの作品です。先ほどまでお見せしていたのは、だいたい個人でやっていたのですが、この作品は箱を作ってパフォーマーの人に裸になってもらって、上から撮るというスタイルをとっています。僕一人では作れない作品と言えばいいのか、当然僕がこの箱の中に入っても良いのですが、ちょっと見たくないな(笑)と。どういう風に捉えたかは皆さん次第で、例えば女性のほうが主体性の部分でモemptyモなのか、と言われたらそうかもしれませんし、女性が人間全体の代表を表しているともいえると思うので、女性のパフォーマーの方に演じてもらいました。

 今日見てもらったのは短縮版ですが、今後はこれを長くして、ハイビジョンでお見せするのと、一方でインスタレーションのように、例えば、いっぱいモニターがあって、ひとつの体がそのモニターの中で動いている、といったような展覧会もやっていきたいと思っています。(2007年12月目黒区美術館の展覧会に参加予定)

 今日は僕が制作してきた作品の全てをご紹介はできませんでしたが、この辺りで本日は終わりにしたいと思っています。ありがとうございました。
 

参考:
瀧健太郎さんサイト
TAKISCOPE
www.netlaputa.ne.jp/〜takiken/



協力
ドキュメントDVD制作:
採録協力:森井佳代

(c) Copyright 2007 Kentaro Taki and art media K.Y. all reight reserved

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posted by amky at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | report
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