2007年09月21日

[ON AIR] Vol.1 飯村隆彦作品上映&トーク

2007年2月25日
[am K.Y. Travelling Store] @gift_lab

iimura


 本日はこのようなイベントの機会を、誕生祝というおまけもついた形で、みなさんに来ていただいて本当にありがとうございます。


今日は、最近つくったDVDを見ながら、多少回顧話も出るとは思いますが、60年代以来続けてきた映像関係のアートについて短くお話ししながら、自由に歓談できたらと思っています。今回フィルム缶にはめこんだDVD、「缶詰にされたDVD」(“Canned DVD”)、というのを作ってみました。その中に映っている作品は、60年代にNYで撮った断片が繰り返しでてきます。今日はそういった作品を後で見ていただき、気軽にお話できたらと思っています。

映像アートというと、今さら映像アートとは何かと論ずることでもないのですが、僕自身は60年代初めに、学校を出てすぐ8mmで撮影を始めて、30年代の「ダダイズム」の新しいバージョンである、当時「ネオダダ」と呼ばれていた時代の中にいたわけです。そして、それが僕の青春でもあったわけですが、その時代の映像が、今こうやってDVDに収まって再生され、安定した環境が出てきたということは、テクノロジーの進歩といえるのかどうかはわからないのですが、大きく変化した状況になっているわけです。

 このような形で、当時は思いもつかなかったことができるようになり、新しいテクノロジーに古い作品を移す、そういう意味である種アンティークな所があるわけです。8mmフィルムは、撮影したフィルムしかなく、コピーもなく、何度も上映したことで、フィルムにはかなりたくさんの傷も入っています。その結果たくさん雨が降っている、フィルムに傷が入って場面に雨が降っているように見えることを指すわけですが、そのようなところも、傷越しにというか雨越しに、傘をさす気になって作品を見ていただけるかもしれません。

 今日は、僕が最近まとめたDVD、12の作品を一本ずつ各1分間抜粋し、ひとつのDVDの中に入れたものを見ていただこうと思います。これは抜粋なので、作品そのものではないのですけれども、不思議なことにそれがまた別の作品にもなっているという風にも見えてきます。その意味で、むしろフィルムやヴィデオとも違う「DVDアート」ということを積極的に主張しています。


Canned DVD "A hippy in The Central Park (1969/2007)"


【DVDを上映しながら】 DVD 「飯村隆彦のDVDアート」
 
 DVD「60s Experiments(60年代の実験)」は、一番最初に僕がフィルムでつくった作品集です。その中の、『くず』という作品は東京湾で撮影したものです。その後の作品が、オノ・ヨーコが音楽をつけた『Love』です。そして、『Cine Dance:The Butoh of Tatsumi Hijikata(シネダンス:土方巽の暗黒舞踏)』。この土方巽の『あんま』という作品では、舞台の上で一緒になって、あたかも登場人物のひとりのような顔をして撮影しました。今、画面に映っているのが土方で、後ろにいるのが大野一雄です。『バラ色ダンス』はいわゆるゲイダンスといわれて評判になったもので、三島由紀夫の「禁色」を台本にしたといわれています。

 DVD「Experiments In New York(ニューヨークにおける実験)」に収録されている『New York Hot Springs』、これは「ニューヨーク温泉」と呼んでいますけれど、マンホールから出てくるニューヨークの冬の風物詩である湯気を撮影したものです。
 
『Talking in New York』、これも「ニューヨークにおける実験」に収録され、哲学者のジャック・デリダの言葉を引用している箇所です。「私は私の話すことを聞いています」という現象学の言葉を引用しながら撮っています。
 
『Filmmakers』、ジョナス・メカスが出ていますが、これは60年代にアメリカの映画作家たちをほとんどカメラを覗かずに撮影し、カメラ内で編集したそのまま、それぞれ100フィート、2分間で撮影したものです。ここに映っている人はコロラドの山中に住んでいた、2、3年前になくなったスタン・ブラッケージです。

DVD「Early Conceptual Videos(初期コンセプチュアル・ヴィデオ集)」、これはヴィデオで作られたものですが、初期のコンセプチャルな作品ばかりを集めた作品集の、最初の椅子を撮っている作品です。これもヴィデオの初期1970年代のはじめの作品です。

 『John Cage Performs James Joyce(ジョン・ケージ、パフォームス、ジェームズ・ジョイス)』、これはジョン・ケージに会って、彼のほうから「僕の作品をつくったばかりなので君に聴かせよう」ということになってジェームズ・ジョイスの『フィネガンス・ウェーク』の作品から、僕のためにヴォイス・パフォーマンスをやってくれたものを撮ったものです。

 『New York Day And Night- A JOURNEY THROUGHT LIGHT AND DARKNESS (ニューヨーク昼と夜)』 、これはヴィデオで撮影したものですが、一種の風景画ですね。ニューヨークで85年に撮影しました。映っているのは、今はなき貿易センターです。
 『To The Garden of Water Lilies by Monet(モネの睡蓮の庭の方へ)』、これはジベルニーのモネの庭に行って撮りました。これも一種の風景画というかヴィデオ絵画ですね。
 『間:竜安寺石庭の時/空間』、これはニューヨークのメトロポリタン美術館の企画で作った竜安寺を題材に制作した映画です。
 『AIUEON SIX FEATURES(あいうえおん六面相)』、これは見ての通りですね。
 『SEEING/HEARING/SPEAKING(見ること/聞くこと/話すこと)』、これは先にも出ていましたが、ジャック・デリダの言葉を引用して作ったヴィデオをまとめたものです。



【DVDを上映しながら】
DVD「Experiments in New York」(ニューヨークにおける実験)

 次に、最初に上映した「ニューヨークにおける実験」というDVDなのですが、この中には3つほど作品が入っています。今日は、その最初の作品と2番目の作品の一部を見ていただきます。

「Linda with a lens」
最初NYに66年に行った際、8mmを持っていき、その8?で撮影した2分弱の作品です。2分弱の時間をひとつの対象について、丸々フィルム1本で撮ってみようということで始めたシリーズです。

「Fire Hydrants on Broadway」

これは今回販売している“Canned DVD”に入っているブロードウェイの消火栓です。

「Jack Smith and his “Framing Creatures”」
これはジャク・スミスというもう亡くなった有名な映画作家ですが、彼の左の方に「Framing Creatures」というこれも有名な作品がぼんやりと見えている部分の抜粋です。右にいるのはジャック・スミス本人です。

「Akiko on the roof」
「A Hippy in the Central Park」
これも“Caned DVD”のもうひとつの作品にはいっている映像です。
以上が『NY Scenes』からの上映作品です。

先ほど上映した作品の中には、ある種のスケッチやポートレートなど色々な種類ものが入っています。

 次の『New York Hot Springs』は、1984年にNYで撮影したのですが、これはタイトルのように「温泉」と言って、ビルしかない場所に地下からスチームが出てくる所を10箇所選んで撮っています。各5秒ずつ巡回して全部で100回、十箇所を巡回しています。パーミュテーション(循環)ですが、そのようなアイディアは「構造映画」と呼ばれたりします。映像と記憶の関係をあつかっていますが、この映像の撮影の相手は湯気ですから、特にこれといった形態がなく、その瞬間ごとに刻々と変化していきます。
 

【上映】『New York Hot Springs』上映


 次に、最近制作したDVDがありますので、その中の一部をお見せしようと思います。

 DVD「For Filmic Meditation (映画的黙想のために)」は、作品としては古く、69年〜70年に作られた作品が収録されています。カトマンズに行ったときに、川のなかで一人の男が、最初何をやっているかわからなかったのですが、たまたま通りかかり、8?で一瞬見た思い出を、自分で反芻しながらビューアーという編集用の小さいスクリーン上でそのイメージを再撮影しました。撮影したフィルムを手で編集機の上で左右に前後させながら、イメージをカットしたりつないだりします。そのような編集過程を、直接この映画の制作過程に移しかえているわけです。そこにイメージの反芻というか、記憶と時間の交錯が表れているのではないかという興味でつくられた作品です

『In the River』上映

今日は、自分が今まで制作した作品の紹介も兼ねて、作品も見ていただきたいと思いこの会ももたせていただきました。もちろん十分というわけではないですが、何かヒントなり、とっかかりなりを感じるものがあれば幸いだと思っています。


 DVDという新しいメディアによって何が可能なのか、あるいはそれによって何が変わったのか、そういうことが当然問題になります。
 今日のところは、その議論は、僕自身もはっきりとした答えをまだ見つけていないということで、皆さんにも考えていただけたら幸いです。そういった点でまた議論ができれば面白いと考えています。何か2、3質問なり、感想なり、意見なりありましたら、せっかく来ていただいているので、発言していただくのも他の人も興味があるかと思います。


<質疑応答>

― NYという街は飯村さんにとって何か特別な意味があるのでしょうか。

飯村: 特別というか、それは東京が特別な意味があるかという疑問と同じすね。ただ、生まれた場所を選ぶことはできないので、NYの場合は確かに自分で選んだわけですから、その点は勿論違うわけです。
それは、偶然でもありましたけれども機会があって行ったわけです。それ以前にNYの情報が入っていましたが、60年代はじめ、こういう実験映画をはじめた時、ほとんどみる機会がないし、本でしか情報がわからなかった。限られた情報の中で想像していたわけで、やはり直に見たいということで飛んでいったのですね。

東京でも自分の作品を上映してはいましたが、いまひとつ反応がわからないし、それについて批評してくれる人もいませんでしたから、NYで自分の作品を見せたい、ということがありました。その前に、ちょっと個人的な話になりますが、たまたまオノ・ヨーコがジョナス・メカスのところに僕の作品を持っていって見せたところ、彼がビッレジ・ボイス紙上で褒めてくれたということで、直接行ってみようという気になったのですね。そのような非常に個人的な動機でNYに行きました。

それ以上の意味があるのかというと、議論していけばNYのこういう映像アートがどう違うのか、あるいは私にとってどういう街だったのか、議論できると思います。ここで今日二つ、見ていただいたような映像としては、それを観てあなたがどう感じたかお聞きしたいと思います。

― 感想なのですが、東京の作品は「くず」に始まり、わりとドメスティックでゴミだったりしたのですが、NYに行ったとたんにもうちょっと地平が開けたのかなと勝手に僕は受け止めました。解放感があるというか、飯村さんが東京でやらないことをNYでやっているような印象をうけました

飯村:もちろんそれは各作品をつくった間の時間差がそこにはあります。東京にいたときに何ができたのか、何をやったのかとうことで、今から比較できるわけですけれど、その当時はもちろんNYで何ができるかということは行ってみなければわからないというのもあったし、期待もあったけれども、不安も勿論ありました。結果的に東京でやったことのほうがまとまりはありました。

NYにいって色々と試し、むしろ自分の焦点がなくなったというか、分散したというか、広がったことは確かだけれど、僕が、当時考えていたいわゆる実験映画らしさというものは失われました。

『New York Scenes』にしてもそうなのですが、そういう意味では、焦点のない中心のないものになったとも言えます。それが良いことなのか悪いことなのか、みなさんに批評なり判断してもらえば幸いです。


― 『In the River』という作品は初めて拝見したのですが、あの作品は今回改めて編集したのでしょうか。

飯村:確かにあの作品は元はもっと長いのです。17分ぐらいあるのですが、今回は12分で5分ぐらい削っています。

― 当時は17分で発表されたのですか

飯村:そうですね

― 先ほど質問者の方がドメスティックとおっしゃっていたのですが、私は飯村さんの作品全体を通して構造的、物質的なものというのを、特に『In the River』から感じたました。今回編集しなおしたときと、以前編集しなおしたときにどのような違いがありましたか。

飯村:編集は、後半のものをちょん切って、カエルのしっぽではないのですが、カエルにしっぽはあったかな、トカゲのしっぽですね(笑)。ただ、後半のほうが長すぎると、見る人、特に最近の人は、昔ほど忍耐心がないので短くしました。今の作品でもまだ長いかなと思うぐらいです。そのような非常に現実的な問題を含んでいます。

 ― 音楽は当時と同じなのでしょうか

飯村:そうですね、あれはエンドレスに流していて、所どころ無音の箇所もあります。映像は長すぎませんでしたか?

― いいえ。当時はどのような状況で発表されたのでしょうか。

飯村:当時は忍耐強い人がたくさんいて、外国でも上映した際も、途中で席を立つ人もいましたが、かなりの人が残ってくれました。また、瞑想のような体験を味わった人も少なくないという批評がでてきたんですね。それは必ずしも狙ったことではないのですけれども。

 ― 今回編集されたのを拝見して、やはりそのような瞑想のような部分を考えて編集されたのかと思ったのですが。

飯村:僕自身はむしろ分析的に考えていました。アクションとアクションでいったりきたりしながら、波がいったりきたりするようなところはあるのですけれども、行為をだぶらせたり飛ばしたりということで断片化していき、15秒ぐらいの元の映像が10分以上になっていますから、長く延長されています。

編集用のビューアーの上を手でフイルムを動かしながら、だぶらせたり,何度も撮影したフイルムを巻き戻して使っています。でもそれは必ずしも計算通りにはいかなく、特に撮影画面を書き残しているわけではないので、偶然にイメージがダブったりすることは多いにあります。プロセス予想を立てながら、撮影したわけですね。この作品はフィルムですからヴィデオと違って、実際に、あるいはコンピューター上で現在入手するようにイメージしながら、というわけにはいきません。それこそいちかばちかで、予想をしながら重ねていって、これは映像編集をする人はこのような経験を繰り返しながらやっているわけですが、それを視覚化して、記憶と時間のズレみたいなものをエンジョイできればと思ったのです。

 逆に、今これだけコンピューターで編集できるようになっていますから、全部見えているということで、こういう形の編集というのは難しくなってきているという側面があります。色々なレイヤーでいくつも重ねながら編集し、それを試すことがパソコンの編集ではできるようになっているのですが、そのような意味では確かに便利にはなっています。コンピューター上では建前は正確にできるようになっていて、見えすぎて良い場合は勿論あるのだけれども、そこに偶然のはたらきというのは完全にはなくならないと思いますが、偶然性が働く領域は少なくなっているということはあります。

― DVD「Experiments In New York」の中の『New York Hot Springs』は、場面を構造的に編集したということですが、『New York Scenes』は、どのように時間を意識し、撮影/編集されたのでしょうか?

飯村:ひと巻きだいたい2分ちょっとの8mmの小さいロール、今のスーパー(8mm)とはまた違う昔のレギュラー8mmといって、16?を行きと帰りでひっくり返して、それを使って撮りました。ワンロールでひとつのテーマについて撮りきり、編集の中でつないでいって数珠つなぎのように見せるという手法を用いています。場合によっては2台の映写機で、同時にマルチプロジェクションのような形で上映したときもあります。そういう場合は、2つあるいは3つのシーンが同時に見える場合もあるのですけれども、色々な上映上の実験も試みたことはあります。それと同時に、こういうシングルでも上映しています。NYにいって最初にはじめたのは8mmで撮影した『New York Scenes』で、特にテーマはひとつに限らないで色々と撮ってみようということで始めたわけです。

 ― フィルムそのものの時間が、前提としてあったのでしょうか。

飯村:時間といっても、その場合はフィジカルで、ひとつのロールがある時間に終わってしまうという限界があるわけです。だから時間的につくるというののは無視して、テーマがある中で好きなように、例えば気になっていたブロードウェイにあるエロティックな消火栓を色々と撮って、それをアグレッシブにクローズアップしながら重ねていったような試みをやっているわけです。
そういうあるテーマについて、場合によっては未来派的な時間の流れだったり、立体派的な面が、同時にでてきたりというようなところが部分的にはあるかもしれません。わりと自由に、ひとつのテーマについて撮っていったというところはあります。かなり色々と撮りましたが、使える部分はその中のわずか何分かで駄目になった作品、上映しなかった作品もたくさんあります。


― 飯村さんは初期の頃から一貫して実験映画を撮られていますが実験映画をずっとやられる中でこんなはずではなかった、もう一回やったら、こんなことはやらなかったということはありましたか。

飯村:幸か不幸か、まあ不幸かもしれませんが、最近になって、もし若かったら多分こういうことはなかっただろうということはあります。
でも、それが後悔ということでは必ずしも無いのですが、他の可能性ももちろんあっただろうということはあります。時間を逆戻りさせることはできないのですけれども。僕がやったことを、新しい若い人がもう一度やる必要は無いので、それを残して、前歴があったということがわかるわけです。無駄を、無駄かどうかはともかくとして、同じことをしないで済むとうことはあると思います。もちろん、その後に何か発見できればそれに越したことはないのです。
今までの新しいものも、ある意味ではくりかえしながら向かってきたところは僕自身もあるわけで、リバイバルが必ずしも悪いわけではないので真似をしても良いのです。真似をするのが悪いといっているわけではないです。真似したい人はNYまで来ていただいて結構だと思います。

このように、DVDのようなメディアができたおかげで、遍歴が残せるのかなと思いますが、DVDもまだわかりません。あと5年もしないうちになくなるかもしれません。常に新しいメディアが出ているわけですから、これが確実に残るということは全くないわけです。メディアは、この50年だけでも変化し、そのたびに、この過去を新しいメディアに入れ替えてきました。それを引き継いでできたメディアによって8?でやったことがDVDで見られるようになったということもあるわけです。

8?のイメージも、同じイメージを遅くしたり速くしたり入れ替えて編集する、あるいは移し変えてDVDに出すということも多少やっています。比較していけば、すぐわかると思うのですけれども、小さいメディアということもあるし、ひとりで見るということもあるし、集中できるということもある。そういう意味で、同じものではないので、そのメディアにしたがって見方というか存在のしかたが変わってくるのではないかと思います。

― 今の実験映画で注目している若い作家の方はいますか。

そうですね。何人もいるのですが、そんなに交際があるわけはないので、たくさん見ているわけではありません。後日こちらの会場でイベントをする瀧さん、作家として何年も経験もある方なので、質問者の方のいう「若い」というカテゴリーにふさわしいかはわかりませんが、彼のことも注目しています。彼がやっている東京ヴィデオアートセンターにも何人かいますし、そのほかのグループにも何人かはおもしろいなという人はいます。特にメディアの中でヴィデオアートということはないのですけれども、メディアによって見え方や実験の内容が違うということはあります。

 ― 70歳のお誕生に際して何か願い事はありますか。

今日が人生で最後の誕生日ではないように(笑)。
本日は、わざわざお越しいただき、誕生日もかねてこのような会を開いていただいてありがとうございました。

参考:
飯村隆彦のメディア・アート http://www.takaiimura.com/

協力
ドキュメントDVD制作:
採録協力:森井佳代

(c) Copyright 2007 Takahiko Iimura and art media K.Y. all rights reserved

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