2010年05月09日

映画から遠く離れて、現代美術に反対して(河合政之)

ヴィデオ・アーティスト、河合政之氏が、月刊「あいだ」167(2009年12月20日発行)に投稿されていた「映画から遠く離れて、現代美術に反対して- 映像をめぐる三つのイベントと、ジャンルの問題について」は、大変興味深いレビューです。
河合氏ならびに関係者のご好意により、転載させていただきます。

また、アムキーで、先日リリースした、DVD+カタログ「ヴァイタル・シグナル 日本初期ビデオアート 」(EAI) に関連する「Vital Signals(ヴァイタル・シグナル)  日米初期ビデオアート −芸術とテクノロジーの可能性ー」の巡回上映についての「ヴィデオ・アートの初心--『Vital Signals』」も、示唆に富むものです。


「映画から遠く離れて、現代美術に反対して
- 映像をめぐる三つのイベントと、ジャンルの問題について」
河合政之(かわい まさゆき/ヴィデオ・アーティスト)

 のっけから私事で恐縮だが、私はヴィデオ・アートをやっている。と言うと、ほとんど次に返ってくる言葉は、「ヴィデオ・アートってなんですか?」というものだ。そのとき私はだいたい次のように答えるようにしている。「ヴィデオというのは電子を使った映像のことです。そしてヴィデオ・アートというのは電子映像を使った芸術ということです」そういうと、次にはたいていこう聞かれる。「映画ですか? それとも、TVとか、プロモ・ヴィデオですか?」すると私の答えはこうだ。「いや、電子映像が使われている芸術ならなんでもヴィデオ・アートと言えるでしょうね。たとえばそれが美術作品であれ、劇映画であれ、ドキュメンタリーであれ、パフォーマンスであれ、TV番組であれ、コンピューターやインターネットを使ったものであれ、はたまた建築や都市計画であれ、あるいは社会的なアクティヴィティであったとしても・・・」。ここでたいてい相手は、「はあ・・・???」となる。

 これがいわゆる映画やアートなどの「業界」関係者が相手となると、状況はさらに悪くなる。つまり「ヴィデオ・アート? そんなものまだやってる人いるの?」とか、「ああ、ヴィデオ・アートね・・・(軽い軽蔑の表情)。あれ、面白いものないよね。***とか、###とか(と言って、たいてい現代美術かメディア・アートのヴィデオ作品を挙げられる)」などである。

 つまり、一般的にはヴィデオはいまだに、それ自体で芸術の一ジャンルと言えるほど浸透していない。その一方で、「業界」の常識としては、ヴィデオそれ自体の可能性はすでに過去に探求され尽くしてしまっている。それはもはや現代美術やメディア・アート、映画などの一道具(しかもきわめて不器用な道具)として存在しているだけである。


 だが、いささかあまのじゃくな私には、このようにヴィデオが現代的な状況の中で透明化してしまったということは、ヴィデオの重要性が消滅したどころか、それがいよいよ社会に浸透して、深まりつつあることの表れであるように思えるのだ。そしてヴィデオが芸術としてなかなか認められ得ないということこそ、ヴィデオの脆弱さではなく、むしろそれが既成の芸術概念を根本からくつがえすような、怪物性を秘めていることの表れであるように思えてならない。

 「ジャンル」の壁というものが、今日の芸術全般において、ますます強化されているように思われる。つまり諸芸術の定型化、細分化、業界化が進んでいるということだ。幸いなことに(?)私は、ヴィデオ・アートという、ジャンルとして成立しているとは言いがたいものと関わっているだけに、この諸ジャンルの分立という問題がいっそうひしひしと感じられる。

 ヴィデオは、さまざまな既成の芸術ジャンルと関わるけれども、中でも特に二つのジャンルの間でつねに揺られている。その二つとは、映画と現代美術である。

 単純化を承知でフロイト的図式を持ち出すならば、映画はヴィデオの父であり、現代美術は母であると言えるのではないだろうか(ただしヴィデオが男性であるとして、だが)。つまりヴィデオは現代美術という母に対しては依存的なところがあり、一方で映画に対しては父殺しをおこなわなければ自立できない運命にある。ヴィデオは映画に立ち向かうときにはその独自性を研ぎすますが、現代美術と結びつきすぎるとそのアイデンティティを吸収され弱体化しやすい。

 ところでこのように言うと、次のような疑問がたちまち頭をもたげてくるだろう。一体、ヴィデオは新しい「ジャンル」として自立すべきなのか? そもそも、ヴィデオは「ジャンル」でないこと、つまり「芸術」のひとつなどではないことにこそ、意義があったのではないか?

 その問いは一理ある。ここではひとまず、このように答えておこう。すなわち、ヴィデオは既成のジャンル的な枠組みをことごとく壊すことによってのみ、新しいジャンルとして成立するだろう。つまり、ヴィデオが目指す新しいジャンルは、旧来のジャンルに新しいひとつとして付け加わることではない。それは芸術すべてに、旧来のジャンルへの根本的な疑問を突きつけずにはおれないものなのだ。ヴィデオは他のジャンルを脱ジャンル化することで、ジャンルとして成立するのである(と、こう書くときには、なにかあの「すべての階級を廃絶することによってのみ成立する階級」といった言い方を思わせるものがあるかもしれない)。




ドゥボールの「(反)スペクタクル」映画


 このようなジャンルの問題について考えさせるような機会が、この10月から11月にかけて、いくつかあった。

 そのひとつが、山形国際ドキュメンタリー映画祭および、東京日仏学院でおこなわれた、〈映画に(反)対して - ギー・ドゥボール全映画作品上映〉(山形:2009年10月10-12日、東京:10月17-18日)である。ちなみにこれは私が当初2003年の開催を目指して、2001年に山形映画祭と東京日仏学院に企画を持ちかけたのが始まりだが、その後紆余曲折があって私は離れ、今年やっと8年越しに実現したものである(今回の企画に私自身はほとんど関係していない)。

 ギー・ドゥボールは、「スペクタクルの社会」というメディア情報=消費社会批判の理論で知られる。彼は1950年代初頭にフランスの前衛芸術運動レトリスムに加わった後、その中の最左派としてシチュアシオニスト・インターナショナルを結成、その中心人物として1968年の五月革命などに大きな影響を及ぼした。シチュアシオニストは芸術至上主義を超克しようとして、「状況の構築」というテーマを掲げ、「日常生活を変革する」という、より積極的な政治活動に身を挺した(レトリスムとシチュアシオニストこの二つの運動について詳しく知られたい向きは、『アートという戦場 ソーシャルアート入門』(フィルムアート社+プラクティカ・ネットワーク編、フィルムアート社、2005年)に、両運動についての拙稿があるので、参照していただきたい)。そしてドゥボールは理論家であり活動家でありながら、同時に映画作家としても活動を続けていた。

 上映は、レトリスト時代のドゥボールによる『サドのための絶叫』(1952)から、シチュアシオニスト・インターナショナル解散後、最後の作品である『われわれは夜に彷徨い歩こう、そしてすべてが火で焼き尽くされんことを』(1978)までの、6作品。『サドのための絶叫』は、ブラック・アンド・ホワイトの画面とナレーションのみで構成された作品であり、ときに上映はなにも映らないスクリーンと沈黙となる。そのもっとも長い沈黙は、24分におよぶ。その他の映画は基本的に、さまざまなCMや映画からとられたフィルムの断片で構成され、ドゥボールによる自らの思想や、シチュアシオニストの活動についての回想がナレーションとして重なる。ここでは紙数の関係もあり、ドゥボールの映画や思想、活動について詳しく述べることは割愛させていただきたい。現在では映画全作品を収録した英語/仏語版のDVDがゴーモン社から出ているし、またそのシナリオについては『映画に反対して - ドゥボール映画作品全集(上・下)』(木下誠訳、現代思潮社、1999年)を参照することができる。

 なにはともあれ、諸事情あって長らく見ることのできなかったドゥボールの映画が、諸方面の尽力によって日本で紹介されるはこびとなったことは、ひとつの大きな進歩であり、まことによろこばしい。私自身としても、かつてシナリオを読んで感動したものが、あらためて映画として、大画面で見られたことは非常に感慨深いものがあった。そして山形、東京ともに満員であったことにも、あらためて今ドゥボールへの関心の高さがうかがえると言えよう。


 まずドゥボールが映画作家でもあるということは、その「スペクタクルの社会」という概念と切り離せない。スペクタクルの社会とは、簡単に言えば、世界のすべてが表象的なイメージと化し、それが現実的な社会を形成する実効力を持つにいたった状況のことである。つまりそれは、今日のメディア情報化社会の本質をとらえた概念として受取られている。


 だが実は、この「スペクタクル」という概念は、理解が容易に見えて難しい。ほとんどの場合、それは単に「進化したイデオロギー」や「シミュラークル」、つまり「イメージ=体制的ニセモノ」というような意味でしか理解されていないように思われる。その場合は、そのアンチテーゼとして、「反体制的ホンモノ」が前提されている。だがスペクタクルという概念のポイントは、そこにはない。それはむしろ、まさに「反スペクタクルがスペクタクルになること」、そして同時に「スペクタクルが反スペクタクルになること」という、怪物めいた自己言及・反転性にある。こうして反体制的ホンモノが体制的ニセモノとなり、体制的ニセモノが反体制的ホンモノとなって、体制と反体制、ホンモノとニセモノの差異が機能しないまま、お互いに支え合って存続する、という状況を作り出す。それが「スペクタクルの社会」なのだ。ドゥボールは言う。「統合されたスペクタクルの最大の野望は、依然として、秘密機関が革命家となり、革命家が秘密機関となるようにすることである」(ギー・ドゥボール『スペクタクルの社会についての注解』p.23、木下誠訳、現代思潮新社、2000年)

 このスペクタクルの概念と呼応して、ドゥボールの映画は、ある方法論を主張し、実践している。それは、「転用」という方法である。それは既成のメディア的なイメージを、それを批判する目的のために逆利用するというものだ。「革命的批判は、映画スペクタクルの戦場そのものに自ら赴き、その言語を転覆しなければならない。・・・スペクタクル的な社会がそれによって自らに自らの姿を見せる固有の映像こそが、ここでは再び取り上げられ、裏返されるのである」(ギー・ドゥボール「映画について」木下誠訳『映画に(反)対して - ギー・ドゥボール特集 カタログ』p. 22、山形国際ドキュメンタリー映画祭・東京日仏学院、2009年)

 つまりそこでは、スペクタクル社会の批判のためにスペクタクルが演じられるのだ。したがってそれは、つねに矛盾をはらんだ形でしかなされ得ないような、ギリギリの闘いとなる。なぜならスペクタクルを批判するためには、スペクタクルもまた必要なのだから。
 ドゥボールの映画は、実践的にスペクタクル性を感じつつ見られなければならない。つまりその映画の中では、観客のスペクタクル性こそがスペクタクル批判のために利用されているのである。このように、映画というスペクタクル自体が、徹底して反=映画、反=スペクタクルとして経験されること、そして逆に反=映画、反=スペクタクルが、映画やスペクタクルとして経験されることが、同時に求められているのだ。

 こうしてドゥボールの映画は、現実の反転された等価物となる。それは現実を鏡のように「反映」するのである。つまりそこでは、体制対反体制や、ニセモノ対ホンモノといった、安易な二項対立的な闘いがおこなわれているのではない。その二項対立が無効とされた上での、「反映」による闘いが示されているのだ。


 では今回の日本における公式な初上映で、ドゥボールの「スペクタクルによる反スペクタクル」=「反スペクタクルによるスペクタクル」は、どのように演じられ、また受取られることになったのだろうか。

 ここでふたたび、「映画」というジャンルの問題へと立ち返ってみたい。言うまでもなく映画は、単なる芸術の一形式である以上に、いわゆる映画業界やシネフィル(映画狂)的価値観をともなった、完成されたジャンルである。つまりジャンルとしての映画は、強力な同化作用を持つ一方で、きわめて排他主義的な価値観を強制する装置としてはたらく。そこではつねに、映画であるか、映画でないかが、問題とされるのだ。

 そして今回、ドゥボールの「反映画としての映画」、「反スペクタクルとしてのスペクタクル」が、まさに映画=スペクタクルの場である、山形映画祭や東京日仏学院で上映されたということは、きわめて正当であると言えよう。だがその上映の実現そのものは正当であると認めた上で、その実践的な効果としてはどうであっただろうか? それは現実を反映的に映し出すことで、映画というジャンルの中に自閉・硬直した場を、「状況」へと開き、直面させ、そして戦慄させることに成功したのだろうか?

 私は今回のドゥボールの上映で、それがやはり、きわめて「映画」というジャンル=スペクタクルの中の出来事へと最終的に回収されてしまったということを感じないではいられなかった。特にそれは会場で頻繁に聞かれた、「ゴダール、ドゥボール」という、韻を踏んだような名前の連呼に象徴的にあらわれている。なぜなら言うまでもなくゴダールこそは、映画というジャンルの持つ排他的同化作用のシンボルであるからだ。ゴダールにとっては、世界そのものが映画であり、すべての問題は映画の問題としてとらえられる。そして多くのシネフィル的価値観は、そのようなゴダールに、絶対的な映画の革命家=聖者としての地位を与えている。もちろん私は、芸術家あるいは思想家ゴダールその人が、あるいはその作品や方法が、良いか悪いかを問うているわけではない。そうではないにしても、ゴダール信仰がシネフィル的価値観を支えていることは疑いがないだろう。

 そしてドゥボールがゴダールとの比較によって語られるとき、ドゥボールをいかに映画としてみるか、ということが無意識的な関心の的となっているのではないだろうか。そこでは「反スペクタクルのスペクタクル化」などという以前に、単なるシネフィル的なジャンル同化への欲望の壁が、立ちはだかっているように思われる。


 しかしドゥボールの映画に接することで、シネフィルたちが「新しいゴダール」を発見したつもりになるにせよ、「ドゥボールもまた『良い映画』だった」と安心するにせよ、あるいは(おそらく実験映画の歴史への無知ゆえに)その映像実験を「最先鋭の映画的脱構築」だと純朴に持ち上げるにせよ、映画という既成のジャンル=スペクタクルが深く問われることにはならないだろう。
 言うまでもなく、ドゥボールという射程からゴダール主義に象徴される「映画」のジャンル主義の偏狭さを批判することには、もちろん意義があるだろう。そしてそれこそが、今回の山形および東京における上映の企画者たちの狙いであったに違いない。それは非常に歓迎すべきことであるように思われる。

 だがその逆に、ゴダール主義からドゥボールを「映画」として受けとめるなら、そんなことには何の意味もないだろう。ゴダール/ドゥボールという二項対立の軸など、シネフィルの妄想の中以外には存在しない。ただ双方が互いについて、その膨大な言論の一部において、わずかに言及したことがあるにすぎない。それをことさらに言い立ててもナンセンスであろう。(ただし、こうも付け加えておこう。ゴダールとドゥボールはまったく関係がない。そしてその関係のなさのレベルのおいてこそ、ゴダールとドゥボールはもっとも近い「映画」作家なのだ、と。)

 その一方で、ドゥボールを神話化することも、たとえそれが「反映画」や「反スペクタクル」の革命家=聖者としてであったとしても、やはり好ましいこととは思われない。それはドゥボールを、「反体制的ホンモノ」として、スペクタクル化することに他ならないからである。しかしながら今回の企画では、当初企画者側はドゥボールをより広いパースペクティヴで見せることを提案していたにもかかわらず、ドゥボール側からよせられた締め付けによって、それができなかったという事情もあったらしい。しかし今、なにがドゥボール的で、なにがドゥボール的でないか、などということを排他的に問うことに、意味があるのだろうか? そして同じく、なにが映画で、なにが映画でないかなどという問いにも?




「横浜国際映像祭」--ジャンルを超える試み


 二つ目の機会は、〈横浜国際映像祭CREAM〉(2009年10月31日−11月29日、BankART Studio NYK、新港ピア、東京藝術大学馬車道校舎)である。こちらはそのキャッチフレーズも、「アート × 映画 × アニメ × 写真 × ライブ ジャンルを超えた新しいフェスティバル」となっていて、実際映画、現代美術、メディアアート、アクティヴィズムなど、さまざまなジャンルにまたがる映像が一同に集められていた。BankART Studio NYK では、クリスチャン・マークレイ、マイケル・スノウ、シャンタル・アケルマン、アルフレッド・ジャーなどの作品を見ることができたし、新港ピアではニコニコ動画と八谷和彦が並べられ、アクティヴィズムや市民参加型のワークショップ、パフォーマンスなども頻繁に開催されていた。また芸大校舎では、シングルチャンネル作品や映画上映のプログラムもあった。とは言うものの、この映像祭全体を支配しているフォーマットは、明らかに「現代美術(アート)」だったと言えるだろう。


 まず私がもっとも感銘を受けたのは、アルフレッド・ジャーの《静寂の音》だった。スーダンの1994年の飢饉を取材して、餓死寸前のうずくまる少女をハゲタカが狙っているショッキングな写真でピューリッツァー賞を受賞し、その直後自殺する写真家ケヴィン・カーターについての作品である。5分強程度の作品だが、ジャーはまずその入場を制限して、観客にその初めから見ることを要求する。作品のほとんどは、一定のリズムでこの事件の顛末を語る文章が、プロジェクションによって前の壁に示されるだけである。最後に近く、突如フラッシュが観客のいる会場内に向けて一瞬だけ発光し、それとともにあの有名な写真が映される。最後に、その写真はカーターの死後、ビル・ゲイツが所有する会社にその版権が帰したこと、そのデータ・ナンバーが示されて終わる。

 この作品が成功している理由には、まず入場の制限やフラッシュの設置など、映画とインスタレーションの形式を上手く融合させていることがある。それから、テキストを映像として読ませることによって、観客のうちに一定の時間的なリズムを作り出すような、書物とは異なる映像的なテキストの体験を与えていることがある。また、いわゆる「映像」は一枚の写真のみであるにもかかわらず、そのためにいっそう、映像とメディアの持つさまざまな意味について、映像自体によって考えさせる作品となっていることがある。そしてさらには、作品自体は非常にシンプルな作りでありながら、明快でありつつも表層的ではない政治的な問いかけを、観客に向けて発信することにも成功していたように思われた。

 つまりこのジャーの作品は、いわゆるコンセプチュアル・アート、インスタレーションという形式を利用しながらも、その中に映画性、写真性、テキスト性、政治性といった諸要素を、それらの強度を失わせることなく融けこませていると言えるだろう。

 映像やテキスト、政治などをあつかう現代美術の作品は、しばしば、いわゆるジャンルとしての「美術」作品として成立させることにのみ関心が払われているように感じられることがある。つまりそのような「現代美術」作品には、映像やテキスト、政治といった「美術」以外の要素に対するデリケートな感性が、あまりにも欠けている作品が多い。つまり作品の単なる画材としてのみ映像やテキストをあつかい、また作品の外的な支持体としてのみ政治性を利用するといった方法に陥りがちである。そのように映像やテキスト、政治性を「美術」の材料として扱うことに堕してしまった作品には、明らかな表層感がただよい、緊張が欠けている。

 私はヴィデオ・アーティストの立場から言えば、そのような“緩い”「現代美術系の映像作品」に、いささか辟易していることを告白せざるを得ない。だがジャーの作品は、非常にミニマルに作られているけれども、その諸要素が美術作品として必然性をもって選択され、構築されている。そして作品の隅々まで隙なく、緊張感があったように思われた。


 それに比べると、その他の作品はそのような必然性を欠いていたことは否めない。その一つ一つを分析していくことはできないが、たとえばアケルマンの《東から(ボーダリング・オン・フィクション)》は、彼女の1993年の映画作品《東から》(105分)を、数十台のモニターで空間的に分割して見せているのだが、その意図がよくつかめなかった。アケルマン自身は自分を美術家ではなく映画作家だと明言しているし、これはもしかすると彼女の「美術」における画商であるマリアン・グッドマン画廊が、アケルマンを「現代美術」として商品化するための、単なるギミックではないかという邪推すらも浮かんでしまった。あるいは、スノウの作品にしても、あのようにただ半分仕切られたボックスの中で、ループで上映しているだけでは、よく見られる「現代美術系の映像作品」の展示と同様になってしまい、大部分の観客は一瞬入ってちらっと見て、その映像トリック的な部分の面白さだけを認めて終わってしまうだろう。スノウの作品は、「現代美術系の映像作品」の凡庸さの典型のようなフィオナ・タンの作品と、並べて展示されていた。それは果たして、有名な《波動》に見られるようなスノウ独特の、きわめて繊細な映像感覚との出会い方として、幸せなのだろうか?


 新港ピアでのアクティヴィズム系の展示については、まずそれが(特に日本の)現代美術という閉鎖された、天下泰平ムードの孤立した多幸症的世界に対して、まったく外の価値観を突きつけようとしたという、その問題提起の重要性は、大いに認めたい。そして映像はとりわけアクティヴィズムと切り離せないという視点にも、大変共感する。

 しかし、あのようにアクティヴィズム系のいろんな「モノ」を、いささか思わせぶりに、無秩序に陳列するというやり方が、アクティヴィズムとアートの両者にとって幸せな出会い方なのだろうか、という疑問がある。そこにはアート「業界」内における、ひとつのトレンド的なアイデンティティのアピールが、少しばかり露呈していたということはなかっただろうか? つまり「俺たちは今、アクティヴィズムだ!」とでも言いたげな・・・。しかし本来アクティヴィズムとは、「アート」といった「ジャンル・業界」と関係なく、すべての人それぞれが生きることの必然性の中で、発生するものなのではないだろうか。あの「アクティヴィズム系」の展示が、アート「業界」への問いかけではあったとしても、果たしてそれが「業界」内の内輪ノリをこえて、一般へと働きかけるモーメントを持ち得ていただろうか?

 またそこには、再びアート「業界」と、アクティヴィズム「業界」の、妙ななれ合い的結びつきのようなものも、なかっただろうか? つまりアクティヴィズムもアートも、自らのジャンル的な利害のエゴイズムからお互いを利用しているのではないか? それは本当にお互いが、自らを他者に向けて出会い、開放するためなのだろうか?

 アートにとってアクティヴィズムの導入は、たしかに「他者」をその世界にもたらし、活気づけることになるかもしれない。だがそうすることでアート業界は本当の意味で他者と向き合うだろうか?

 あそこに陳列されていた「モノ」たちは、やはりカッコ付きの「アクティヴィズム」、つまりジャンルとして完成され、閉じられた(つまりアートにとって利用価値があって無害な)「アクティヴィズム」であって、すでに売値のついたカッコ付きの「他者」なのではないだろうか? むしろ本当の他者、本当のアクティヴィズムは、あのような展示に収まるのではなく、おのずとアートを解体してしまうような行為であるはずなのではないだろうか?

 そして逆にアクティヴィズムにとっても、このようにいわゆる「アート」の場で、自分たちの存在証明をすることには、何の意義があるのか? そこには、なにか自分たちをアートによって、社会の中で「ハク付け」したいという欲望のようなものが、あるのではないだろうか? そしてその利益のために、アクティヴィズムが本質的にアートと敵対することだけは、あらかじめ避けられていたのではないだろうか? 実際、あれらのモノたちは、アクティヴィズムの死んだ「シンボル」にすぎず、その展示自体がなにか“アクティヴ”に作用することはないように感じられないこともなかった。


 たとえば、こういうように考えられないだろうか。あの展示を見た(アート業界人でも、アクティヴィズム業界人でもない)一般客が、「わからない」と言ったとする。その「わからない」という率直な感じこそが、独りよがりな「アート」や「アクティヴィズム」を解体し、その内輪ノリの虚しさを明るみに出してしまうのではないだろうか。とすると、いわゆる「アクティヴィズム系アート」よりも、むしろそれを「わからない」と言って立ち去る一般客の方が、いわゆる”アクティヴ”な他者なのではないだろうか。

 つまりこういうことだ。映像アートの側からすれば、なにもジャンル・業界化されてしまった「アクティヴィズム」などに頼ることなく、単純に映像やアートそのものが、“アクティヴ”であることを目指すべきなのではないか。あるいは逆にアクティヴィズムそのものが、アートであることを。だがそのようなことは、アートが「アート」というジャンルに、アクティヴィズムが「アクティヴィズム」というジャンルに拘泥している限りは、起こりえないだろう。



ヴィデオ・アートの初心--「Vital Signals」

 そして三つ目は、11月21日から23日に横浜美術館で開催された、「Vital Signals:日米初期ビデオアート上映会」である。これはNYのヴィデオ・アート・アーカイヴであるEAIと、横浜美術館の共催によるもので、日米の60's - 70'sのヴィデオ・アートを概観するものであった。そのプログラムは、初日が「テクノロジー:新しい視覚言語 」と題して、『ビデオ言語論 』『拡張する形式』の2プログラム、また二日目が「オルタナティヴ・メディア:コミュニケーションの変容 」と題して、『テレビの解放』『共有される記憶』の2プログラム、三日目が「パフォーマンス:行為の記録、身体の記録」と題して、『ビデオと行為』『ビデオと身体』の2プログラムであった。このタイトルからも分かるとおり、一日ごとにそれぞれ、ヴィデオの表現効果やコンセプチュアルな側面、ヴィデオのアクティヴィズムや個人表現性についての側面、そしてヴィデオのパフォーマンス的な側面、という分類的な切り口が採用されていたように思う。


 さて結論から言えば、この上映企画は非常に興味深いものであった。それぞれ作品によって、テーマも方法もとても多様であるが、それらのどれが特に面白いということではなく、すべてが楽しめるプログラムであったように思われた。だがここでは、そのひとつひとつについて述べていくことはできないので、その全体について、これまで問題にしてきた「ジャンル」との関連で少し考えてみたいと思う。したがって個々の作品の内容には、残念だが触れられない。

 まず断っておきたいのだが、私はヴィデオ・アートをやっているから、このヴィデオ・アートの上映がジャンル的な関心ゆえに面白かったというわけではない。また、上映された古い作品群を見ることで、ヴィデオというジャンルがまだ勢いのあった時代に想いをはせて、懐古趣味的な感慨を覚えたわけでもない。むしろこの30-40年前の、ヴィデオによる脱ジャンル的な試みを再確認することで、そこに今日の諸ジャンルに分化され硬直化した状況よりも、ずっと先鋭的で自由な開かれた可能性を見出すにいたったのだ。

 そこでは、一見違うジャンルに今は区分けされている作品を一同に見ることで、ヴィデオというものの作用が、あらゆるジャンルの壁をこえてはたらいていることが見て取れた。ヴァスルカ夫妻のエフェクトも、CTGのCGも、飯村隆彦の記号論も、ビデオひろばのアクティヴィズムも、アラン・カプローのネットワーク実験も、中島興の個人史も、ブルース・ナウマンのパフォーマンスも、今井祝雄の具体派的アクションも、すべてジャンルは関係なく、ヴィデオなのである。そこには意識的にせよ、無意識的にせよ、現代的なメディアとしてのヴィデオの、脱ジャンル的な力が働いている。

 今日現実として起きているように、それら作品のそれぞれを、現在分立して形成されている諸ジャンルへと分かれていくルーツとしてのみとらえることは、圧倒的に視野を狭めてしまっていることになるのではないか。たとえばこれは現代美術系、これはパフォーマンス系、これは実験映画系、これはアクティヴィズム系、これはメディア・アート系、などと。そうではなく、ヴィデオという、あらゆるジャンルを飲み込んで、さらにそれをおのずと解体してしまうものから、これらすべてをもう一度フラットに見直すことこそ必要なのではないだろうか。

 冒頭でも問題を提起したが、ヴィデオは本来、ジャンルとしての芸術を無効化することにこそ、その可能性があったのではないか。それが現在では、逆にジャンルが強化され、ヴィデオが無効化されてしまったように思われる。その影響による歪みは現代において、ヴィデオ作品をめぐる露出のあらゆる場面において見られる。たとえばNYのように市場とギャラリーによって経済的・政治的に牛耳られたアート・シーンにおいては、ヴィデオを商品化しやすい「現代美術」に特化させ、そこからはみ出す作家をほとんどヴィデオ・アートの歴史から抹消しようとしているようにさえ見える。またそのような「現代美術」市場中心のアート・シーンでは、アメリカの覇権主義も強い。そしてその世界では、ヴィデオ・アートでもっとも重要な作家は、韓国人のナム=ジュン・パイクではなく、アメリカ人のブルース・ナウマンであり、それを引き継いでいるのは同じくアメリカ人のビル・ヴィオラであるということになりつつある。(ところで余談だが、このようなヴィデオ・アートにおける「アメリカ=現代美術的なヴィデオ作品への偏重」という極端な傾向を、ほとんど批判なしに採用していたのが、2009年3月から6月にかけて東京国立近代美術館でおこなわれた、「ヴィデオを待ちながら」展であろう。たとえば「世界球技大会」に出かけていったら、そこでは「NBA」しかやっていなかった、そして「NBA」だけが世界の「球技」だ、と言われたら、どんな風に思うだろうか?)


 〈Vital Signals〉の上映を見れば、たとえば山本圭吾の《Hand No.2》が、ジョーン・ジョナスの作品《左側、右側》と並べられることには、なんの不思議もない。《Hand No.2》では、右側のモニタに映された手の形を、左側の現実の手が模倣しようと試みる。
《左側、右側》では、鏡やモニタを使って、作者の顔の右側と左側の関係が複層的に示される。その両作品は、多少の重点の置き方の違いはあれど、メディアと身体の差異をテーマにした点でも、あるいはその「ズレた鏡像」というスタイルにおいても、比較すべき作品であろう。また、かわなかのぶひろの《キック・ザ・ワールド》とデニス・オッペンハイムの《アスペン・プロジェクト/圧縮 ‐ シダ(顔)》が並ぶのもうなずける。《キック・ザ・ワールド》では、公園の中でコカ・コーラの空き缶を蹴り続けていく足元がカットなしで写されており、また《アスペン・プロジェクト/圧縮 ‐ シダ(顔)》では、シダを顔の前で折り畳んでいく動作がカットなしで写される。この二作品はどちらも、なかば不随意、偶然的に動いていくモノと、それをオペレートしようとする作者自身の身体の関係が描かれ、それによってある種のセルフ・ポートレイト的な表現となっている。だが、「現代美術」ジャンルの人々のどれだけが、ジョナスの作品は知っていても、山本の作品を知っているだろうか? あるいは、オッペンハイムが「美術」作家であり、一方かわなかの活動が、いわゆる「実験映画」に特化しているように語られるのも、いささかナンセンスなのではないだろうか?
 
 ではなぜこれまで、ここで上映されたような日本の作家たちが、たとえば「現代美術」的な文脈のヴィデオの紹介においては、ほとんど参照されることがなかったのか? 横浜映像祭CREAMにおいても、この作家たちは、ほとんど挙げられていなかった。それは現代の「業界人」たちの、効率優先主義という怠慢、つまり簡単にいえば、「ジャンルの枠にはまらないものには関わらない方が得」だという、まさにジャンル意識のなせるわざなのだろうか?

 正直なところ、ヴィデオを多用する「現代美術」の作家たちや、それを称揚する「現代美術」関係者が、一体どれだけこの作家たちと、その歴史のことを認識しているのか、大いに疑問を感じずにはおれない。その意味では、むしろ「実験映画」のジャンルに属する人々の方が、まだこれらに対してオープンであるように思われる。だがそのような程度の問題はこの際どうでも良い。「現代美術」であろうと、「映画」であろうと、「メディア・アート」であろうと、「アクティヴィズム」であろうと、ジャンル意識が、すべてを硬直化しているという点では、同じである。

 そして奇妙な現象が頻発している。つまり初期ヴィデオ・アートについては、これだけの先鋭性、自由、多様性があらわれているのに、「現代ヴィデオ・アート」として紹介される上映・展示においては、ジャンル的な、内輪ノリ的な、同じような傾向の作品ばかりが紹介されるということになる。そしてその作品や作家が、他のジャンルとして排除されたものと比して、クオリティが高いかというと、必ずしもそうも思われないものも多い。こうしてヴィデオ・アートは多様性を失った、ジャンル内の自己満足的なゲームへと堕したように思われている。ジャンル的な「業界」が、そのような映像作品への自己耽溺を続ければ続けるほど、一般の人々はますますそれから関心を失っていくことになりはしないだろうか。そしてその一方で、ヴィデオが本来持っているはずの、脱ジャンル的な自由の可能性は、日の目を見ることなく葬り去られてしまうことになりかねないだろう。

 だが、そのような状況を打開する試みが、〈Vital Signals〉のように少しながらもあらわれていることを、私は支持したい。この日本プログラムをスーパーヴァイズしている阪本裕文は、2006年1月に名古屋で「初期ビデオアート再考」展を開催し、そのDVD付カタログを刊行した。また〈Vital Signals〉のプログラムはEAIからDVDとして発売される予定だという。こうして、ジャンル主義によって歪められて偏狭になってしまった、ヴィデオをめぐる今日の状況が、少しずつ芸術の歴史の中で書き直されていくことが、切に望まれる。




ヴィデオとの新たな出合いに向けて

 さて、批判的なトーンが濃くなってしまったが、これは現状の問題点を明らかにしようとするがためである。だが私は悲観的になっているわけではまったくない。なぜなら、ここに挙げたような試みがおこなわれることは、それがさまざまな問題を含もうとも、少なくともそれが行われないよりは、確実にポジティヴな意味があるからである。批判はその上で、初めてなされ得るのだから。

 私は、現代においてさまざまな映像とアートの企画がおこなわれていることは、とりあえずよろこばしいことだと思っている。もし、その一つの傾向だけが、経済・政治的な理由によって支配的となってしまい、他を抑圧するようなことさえなければ。したがって今後必要となるのは、それぞれ諸ジャンル内に孤立したものを、結びつけていく活動であろう。そしてそれは、ヴィデオの脱ジャンル性に基づいてこそ可能となるように思われる。

 それにつけても、ヴィデオはやっと今、発見され出したばかりであるかのように思われる。ヴィデオはいってみれば、二度生まれなければならないのだろう。「現代美術」や「映画」や「メディア・アート」といったジャンルへの囲い込みにより、ヴィデオが一度死ぬことは、必要なことなのかもしれない。私は実際、このヴィデオが死んだ時代にヴィデオを新しく始めていることに、幸せを感じている。これは皮肉でもマゾヒズムでもない。ヴィデオは一度死を経験することで、もう一度生まれ直すのだ。そしてそれに関わることは、荒野に道を開拓するがごとく、圧倒的な自由を感じる営みでもある。このような立場にいるからこそ、ここで展開したような批判も可能になるのだ。

 ヴィデオ・アートが最初に誕生したときに予感された自由、あらゆるジャンルへの根本的な否定をともなう自由は、それがほぼ死んでしまった今になって、ようやく確認されはじめたのだ。これから私たちがそれを引き継ぎ、ヴィデオを旧来のジャンル分立を超えた、新しいジャンルとして再生させなければならない。ヴィデオが真に到来するのはこれからである。私たちはそのようなものとして、今こそヴィデオと新しく出会おうとしているのだ。


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posted by amky at 08:59| Comment(0) | TrackBack(0) | review
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