2009年10月22日

ギー・ドゥボール、生活の質

先週の土曜日、東京日仏学院で開催された<映画に(反)対して ギー・ドゥボール特集>の夕方からのプログラムを見てきました。


1952年に制作されたギー・ドゥボール最初の映画作品『サドのための絶叫』、そして『かなり短い時間単位内での何人かの人物の通過について』(1959年)、『分離の批判』(1961年)上映、そして木下誠氏の講演が続きました。

『サドのための絶叫』、ラストの24分間のサウンド・トラックもない、真っ黒なスクリーンは、圧巻でした。1952年のラディカルさ!
<「映像」を完全に欠き、白と黒の画面と、5名の男女によるナレーションのみで構成されている>
フランス語が理解でき、字幕なしで見られたら、と思う。

2番目の『かなり短い時間単位内での何人かの人物の通過について』では、日本の1952年の「血のメーデー事件」のニュースリールが使用されていたのが、印象的でした。労働者の抗う姿と排除しようとする警察。

『分離の批判』、「人と人が離れている分離している状況」「人間が疎外されている状況」、既に1961年に「映像」で批判されている。
ギー・ドゥボールの軌跡を辿れ、初期のスピリットを感じることのできたプログラムでした。


15分位前に会場に着いた時には、既にチケットが完売し、予想以上のギー・ドゥボールへの関心の高さにびっくり。どうにか、上映前に立ち見席のチケットをgetして、会場に入ることができました。
日本で初めて、ギー・ドゥボールの映画作品6作品が上映されるのだから当然の成り行きだったのかもしれません。若い方がたくさん参加されていました。
ギー・ドゥボールの映画作品に、どのように応答されるのでしょう。


前のプログラムで上映された『ギー・ドゥボール、その芸術とその時代』(監督、ブリジット・コルマン)の解説文の中で、コルマンが語った文章のこんなところが気になるのでした。

「ドゥボールは食べること、飲むことが大好きで、そうした生活における必要不可欠なことの質に執着していました。」

「生活における必要不可欠なことの質」、
興味深いテーマではありませんか。

posted by amky at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | fragment
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