2009年06月10日

「ヴィデオを待ちながら 映像、60年代から今日へ」

「ヴィデオを待ちながら 映像、60年代から今日へ」
東京国立近代美術館(2009.3.31〜2009.6.7)

「ヴィデオを待ちながら 映像、60年代から今日へ」(東京国立近代美術館)に、会期終了数日前にようやく行くことができた。
平日の午後にも関わらず、たくさんの人が来場し、予想外に、若い人が多かったのが印象的だった。

野心的、そして画期的な展覧会だ。
と思う一方、物足りなさ、欠如感を抱いている。
何ともアンヴィヴァレントな心地なのだ。


展覧会のコンセプトは、私の興味と重なり、また、これだけの作品を見る機会を得たことは、とても喜ばしいことだ。
多分、私と同様に後れてきた者にとっては、貴重な展覧会だったのではないだろうか。若い方の来場が多かったのも、納得できる。

60年代以降のアート、そして新しい表現手段/領域としてその時代に生まれてきたフィルム、ビデオなどの映像作品を、アートの文脈にどのように位置づけていくか。
パフォーマンス、実験映画、ヴィデオ・アートへの関心からアートの現場に関わった私としても、とても興味がある。

展覧会のもくろみ2点を企画学芸員の方が挙げられている。
「・・・ヴィデオ・アートの歴史を通覧することを意図したものではない。むしろ同時代の美術状況全般の中での共時的関係を捉えることで初めて可視化されるであろう、60〜70年代の映像表現の潜在的可能性を明らかにすること、そして現代の作品との比較関係の中でのアクチュアリティを照射すること。」
(「不純なる媒体 1970年前後の映像について」、展覧会カタログ序論)

このもくろみのために、展示、カタログ、地図が、用意周到に、心憎い配慮とともに準備されている。それらを手がかりに、私のアンヴィヴァレントな心地がどこから来るのかを探ってみたい。



今回の展覧会は、「鏡と反映」、「芸術の物質化」、「身体/物体/媒体」、「フレームの拡張」、「サイト」という5つのテーマから、60ー70年代のヴィデオ作品やフィルム作品が探求した表現を紹介している。
このテーマの設定は、60年代以降のアートを考える上でも共通するものではないだろうか。ある意味「教科書」的な振り返りが、映像作品にも適用されているように感じた。
それだけに、新たな表現手段(フィルム、ビデオ)が生み出している、新たな表現領域の広がりと表現の可能性(学芸員の方の言葉では、「映像表現の潜在的可能性」になるのだろうか)を浮かびだし、再発見させてくれる。

「モダニズムからポストモダニズムへの転換期にも位置づけられるこの1970年代前後とは、絵画や彫刻といった芸術領域がそれぞれ純粋性をかたくなに遵守する方向から、領域と領域の間を横断する動向が生じた時期である。」
(「不純なる媒体 1970年前後の映像について」、展覧会カタログ序論)

この「領域と領域の間を横断する動向」、私の関心の向くところなのだ。今までの領域を拡張していくこと。

「70年前後、ヴィデオ・アート、パフォーマンス、ボディ・アート、コンセプチュアル・アート、アースワークというように、芸術は表現上、多数の領域へと広がっていたっが、絵画や彫刻といった既存の芸術領域を批判的に再考し、美術という制度や形式の『外部』をいかに見出すかという問いが、これらすべての動向を規定していた。」
(「不純なる媒体 1970年前後の映像について」、展覧会カタログ序論)

私は、美術、アートとは異なる『外部』から来た者だ。閉塞感に覆われていたある時期に出会い、新鮮な空気を感じたのが、パフォーマンス、実験映画、ヴィデオ・アート、フェミニズム・アートだった。
私を触発したものは、何なのだろうか。



私の抱いたアンヴィヴァレントな心地は、会場の出入り口で配布された「二つの地図」にヒントがあるのかもしれない。
表は「フロア・プラン」、裏は「ヴィデオの回廊」という図で、「表と裏を往還することで、本展に集められた作品に潜在する特質、すなわち複数のカテゴリーや系列を貫通していく[横断性]が浮かび上がるでしょう。」とある。

「この展覧会『ヴィデオを待ちながら』のために持ち込まれた作品群は実のところ、『映像表現』という名辞によって歴史化されつつある事物のフラグメント(断片)であるとは必ずしも言いきれない。では、それらの作品群は一体どこから、どのような全体から持ち出されたのか。ここに集められた作品群の作り手たちはみな<造形作家>であり、自らの表現の媒体を映像に特化した作家たちではない。彼らの表現を媒介しているのはモニターやスクリーンそれ自体ではなく、作品と観客との間に結ばれる、ある種の彫刻的な質である。映画と呼べないばかりか、映像表現とも断定しきれない作品群、作品それ自体なのか、作品の記録なのかする判別しがちこれらの映像群は、なによりも先ず、彼らの造形作品と似ているのである。」(「ヴィデオを待ちながら」展のための二つの地図)

自らの表現の媒体を映像に特化した作家ではない<造形作家>の作品群の展覧会。これは、どういうことなのだろう。
カタログに掲げられていた「60〜70年代の映像表現の潜在的可能性を明らかにする」というもくろみとは?
「映像表現」を再考することは、「『映像表現』の潜在的可能性」を探る上でも有効な方法だと思う。しかし、「<造形作家>の」と限定するのは、過去のフレームに入れて再考するということなのだろうか。

「これらの作品群は、フラグメントのフラグメントである。ここに用意されたタブローは、フラグメンテーション(分裂・断片化)そのものを最大の特徴とする1970年周辺の『造形芸術』の状況を写像する地図である。・・・ラテン語で一人称の『見る see』を意味する「ヴィデオ」という語だけが、いまこの東京国立近代美術館の回廊に配置されている作品群を束ねている。」(同上)

私は『造形芸術』という枠をも拡張する、来るべき時代への<『見る see」を意味する「ヴィデオ」>をめぐる可能性を可視化できるような拓いた地図を見たいと思った。



展示の中で、ヴィト・アコンチの「センターズ」(1971)、リンダ・ヘングリス「ナウ」(1973)、リチャード・セラ+ナンシー・ホルト「ブーメラン」(1974)が、興味深かった。
これらの作品は、アムキーで作品を配給している飯村隆彦氏の「セルフ・アイデンティティ」(1972-74)、「オブザーバ/オブザーブド」(1975)、「私=あなた=彼/彼女」(1979)などの作品との共通性があるようだ。これらの作品の共時的関係を考察するのは、興味深いだろう。
ロンドンのインディペンデントなフィルム・アーカイブ/配給、Close Upによる最近の飯村隆彦氏へのインタビュー記事の中でも、今回展示されているブルース・ナウ マンの"Lip Sync"と飯村氏のビデオ記号論に関する作品(「オブザーバ/オブザーブド」)との並行する探求が指摘されている。作品が制作されてから30年を経て、見えてくるものがあるのだろう。
http://www.close-upvideos.com/essays/an-interview-with-takahiko-iimura-nyc-january-2009.html

他にもブルース・ナウマン、ダン・グレアムのインスタレーション、デニス・オッペンハイム、ジョン・バルデッサリの各作品を見られたのは、貴重な機会だった。私の好きな「キッチンの記号論」(マーサ・ロスラー)、「ヴァーティカル・ロール」(ジョアン・ジョナス)の再見もうれしい。

また、展示作品の中で、同じく展示されている前の世代の作品に言及した、若い世代の作品が展示/上映されていたのも、興味深かった。
日本の若い世代は、このような作品を生み出すことができるだろうか。

日本国内でも、70年代からヴィデオ作品は作られている(今回も数点、<造形作家>による作品が展示されている)。
しかし、ここ数年は、見る機会が、ほとんどないのではないだろうか。
2年前だったか、川崎市民ミュージアムで上映された初期のヴィデオ作品群、あるいはアムキーでも紹介していたDVD「初期ビデオアート再考」(2006年1月に名古屋で開催された展覧カタログ)に収録されていた作品群は、興味深く、再考が望まれる。
過去の作品を見る機会が少ないというのは、「継続」できないということではないのだろうか。歴史から宙づり状態は、いつまで続くのだろう。
受け継ぐにせよ、批判するにせよ、参照すべき歴史が不可視な状態だということは、残念なことではないだろうか。

今回の東京国立近代美術館の展覧会「ヴィデオを待ちながら」は、ある面、示唆にとみ、刺激的で緻密な再考の試みでありながら、ある面は、ブラックボックスに入れっぱなしのように感じたのだ。
これが私のアンヴィヴァレントな心地の由来なのだろう。

とはいえ、カタログでも、ロザリンド・クラウスの「ヴィデオ:ナルシズムの美学」(1976)の日本語訳が他の2つの海外の文献とともに収録され、貴重な視座を提供してくれる展覧会であることは確かだ。
若い世代の今後の探求への入り口になることを期待している。

私も、地図は無理でも、今までに私を触発した作品群、フラグメントのフラグメントかもしれないが、それらを集めることで、何かが見えくるような系譜を描いてみたい。

アムキーでは、「作り手」と「受け手」をつなぎ、映像をめぐる多彩な文脈を編む「ニッティング・プロジェクト」をスタートします。
詳細は、追ってお知らせしますので、興味のある方は、ぜひお越し下さい。
posted by amky at 18:11| Comment(0) | TrackBack(0) | fragment
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